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蕎麦の定義
 生めんについては、不当景品類及び不当表示防止法に基づく「生めん類の表示に関する公正競争規約」が定められており、その中で「そば粉30%以上」の製品について「そば」との表示が認められています。
 「干しそば」については、JAS法に基づく「乾めん類の品質表示基準」にそば粉の配合割合による名称の使用の可否について、特段の規定は設けられてない。JAS法の加工食品品質表示基準では、内容物を誤認させるような表示を禁止しています。したがって、極端にそば粉の配合割合が少ない製品に「そば」との名称を用い、消費者に誤認させるものと考えられる場合には、加工食品品質表示基準上の表示禁止事項に該当することも考えられます。

蕎麦の栄養は
 そばはむかしから健康(けんこう)によいといわれ、とても栄養価(えいようか)の高い食べものとして知られています。その栄養成分はでんぷんが主成分(しゅせいぶん)(約7割)ですが、良質(りょうしつ)のタンパク質(しつ)やビタミン、ミネラルなどを多くふくみます。特にタンパク質の中には必須(ひっす)アミノ酸(さん)(人体で作れないため、食べものから取り入れなければならないアミノ酸)をバランスよくふくみ、中でも疲労回復(ひろうかいふく)、集中力(しゅうちゅうりょく)を高めるといわれるリジンを多くふくんでいます。ビタミンはビタミンB1やビタミンB2を多くふくみ、亜鉛(あえん)、銅(どう)、マンガンなどの味覚障害(みかくしょうがい)などの予防(よぼう)に注目(ちゅうもく)されている微量元素(びりょうげんそ)のミネラルも多くふくまれています。
 また、そばには毛細血管(もうさいけっかん)を強化(きょうか)し、内出血(ないしゅっけつ)をふせぐ効果(こうか)のあるポリフェノール類(るい)のルチンを多くふくみます。

蕎麦は消化に良いか
 日本各地の山には、何日も野山を駆け回る、厳しい修行を積んだ修験者がいましたが、そんな修験者たちがいつも持ち歩いていたのは水で溶くだけで、すぐに食べられるそば粉でした。
 こうしたことは、そばに含まれる澱粉は、他の澱粉よりジアスターゼによる消化が早く、水でも十分といわれるほど粘化温度が低く、水でねっただけでも食べられ、消化吸収が早い特徴を生かしたからです。
 そばに含まれるルチンは水に溶けやすいので、ゆでると、ゆで汁の中に溶けて出てしまうため、ゆで汁は、捨てずにそば湯として利用されると良いでしょう。

韃靼蕎麦について
 ダッタンそばはタデ科ソバ属の一年生草本です。そばの原産地といわれる中国西南部の山岳地帯や、ヒマラヤ周辺付近で栽培され、モンゴル族のダッタン人が好んで利用していたことに由来するとされています。
 ダッタンそばは、私たちが一般にそばと呼んで食べている「甘そば」に対し、殻粒に強い苦味があることから「苦そば」ともいわれています。日本にも、かって北海道の一部で樺太苦そばがありましたが、食用にはむかず定着しませんでした。
 近年、ルチンを多く含むそばとして注目を浴び、日本の一部でダッタンそばが栽培されるようになりました。
 栄養価については、普通のそばとほぼ同じですが、機能性成分のポリフェノールの一種のルチンが数十倍から数百倍含まれているといわれています。このルチンは高血圧、糖尿病、動脈硬化の予防に効くといわれ、ダッタンそばの粉が黄色いのはルチンを豊富に含んでいるからです。

蕎麦の生産地はどこ
 日本の生産量は約1万8千トンで、世界第8位となっています。都道府県別(とどうふけんべつ)生産量は、北海道(ほっかいどう)が約9千トンともっとも多く、ついで鹿児島県(かごしまけん)、長野県(ながのけん)、秋田県(あきたけん)の順(じゅん)となっています。

 世界のそばの生産量(せいさんりょう)は、1998年の統計(とうけい)によると、262万3千トンとなっており、たとえば、同じ年の日本のばれいしょの生産量(307万4千トン)よりも小さい規模(きぼ)となっています。これは、世界の中で「そば」を主食にしている国がほとんどないことや、生産性(せいさんせい)の低いことが要因(よういん)となっています。  生産量が多い国は、第1位が中国で、約160万トンを生産しており、次いでロシア、ウクライナ、ポーランドとつづきます。

農林水産省本省 「消費者の部屋」より


蕎麦の歴史・・
 細かい蕎麦の歴史と文化については「そば打ち教本」に載っているので興味のある人は見ていただければと思います。 発行元 柴田書店MOOK 2500+税

 私は年相応に時代劇が好きで「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「長七郎江戸日記」などを好んで見ています。ドラマの中で蕎麦を食べるシーンが時々出てきますが、では何時頃から現在の蕎麦のような包丁で切った蕎麦になったのでしょうか。
どうも3代目将軍徳川家光(1604〜1651)の時代あたりから江戸の庶民の中から生まれたようです。

「長七郎江戸日記」
 徳川三代将軍家光(1604〜1651)の弟、忠長の忘れ形見だが、江戸の瓦版屋『夢楽堂』に居候している。普段は、速水長三郎と名乗り身分を隠しているが、事件が起こるとじっとしていられなくなり、下川辰平演じる宅兵衛や火野正平演じる辰三郎、ニンジャ崩れを演じる三田明とともに、悪党を懲らしめる。強くて、優しくて、女にモテてカッコよい。まさしく時代劇のヒーローである。この中で度々三田明が屋台蕎麦屋で悪党を見張っているシーンを見かけるが多分時代考証としてはここら辺が蕎麦の普及し始めであろうと思います。

  (一部「長七郎江戸日記」HPよりコピー、引用させていただいています。)

 水戸黄門こと徳川光圀(1628〜1700)や暴れん坊将軍の8代将軍徳川吉宗(1684〜1751)などのドラマにも度々蕎麦が登場してまいります。黄門様も実際に食べたかどうかわかりませんが時代的には合っているようです。以降、江戸前蕎麦として現在まで同じような形で受け継がれてきたようです。

私も関東地区に住んでいるのでほとんど江戸前の蕎麦を食べていたことになります。細くて腰のある美味しい蕎麦が、何時しか好きになっていました。

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